令和8年3月15日に第285回見学会「今川氏親の甲斐侵攻」を開催しました。
見学先は山梨県甲府市上曾根にある勝山城、甲州市塩山にある恵林寺山城、南都留郡忍野村にある忍野の鐘山の3城。
参加人数は18名。午前8時、市沢さんのバスでJR静岡駅を出発し、晴天に恵まれた甲州の山城を満喫しました。
最初の見学地は勝山城。こちらは現在農地化で遺構も明確ではないため、城が目の前に見える中央自動車道境川パーキングエリアから見学をしました。勝山城は築城年代は不明ながら、永正年間に武田信縄の異母弟油川信忠が籠り、武田家の家督を巡って信縄と争った。永正5年(1508年)攻め寄せた信縄の子、武田信虎により油川氏は滅ぼされ信虎が甲斐を平定する舞台となった。永正12年(1515年)には信虎に反旗を翻した大井信達に呼応し甲斐に侵攻した今川軍が拠点とした城である。パーキングエリアからは勝山城の全体が俯瞰でき、北に甲府盆地を一望できる地理的環境などを見学しました。
次に恵林寺山城を見学しました。恵林寺山城は平成26年に発見された山城で、恵林寺の東にそびえる扇山山頂から南へ伸びる標高820mのピークを主郭に3つの曲輪で構成された山城である。尾根部分には堀切・土橋が明確に残されており、城史は不明ながら永禄〜天正期の城郭とは違った戦闘概念により築城されていることがよくわかる縄張となっているため、永正13年万力の戦いで敗れた武田信虎が恵林寺に後退した時に築城もしくは改修した城であるとも考えられる。
塩山ふれあいの森総合公園の駐車場でバスを降り、約2kmの山道を歩き恵林寺山城の登城口に到着。そこから険しい山道を登り30分ほどで恵林寺山城の主郭部に着きました。尾根を断ち切る鋭い堀切、その背後の虎口など古風ながら埋没を免れ現在までその姿を残す遺構に参加者から驚きの声が上がっておりました。主郭から眼下に見える恵林寺と笛吹川を自然の堀とした防御ラインに信虎を一度は敗走させた今川軍が押し寄せきれなかった理由も納得させられました。
恵林寺山城を後に、バスは一路南へ下り御坂路を越え、最後の見学地、忍野の鐘山へ向かいました。この城は伊勢宗瑞(北条早雲)が甲斐へ逃れた茶々丸を追って甲斐に侵攻した際に本陣を構えた城と伝わり、永正12年の今川氏親の甲斐侵攻時にも同様に利用され、万力の戦いの後、反撃に出た武田軍が攻め寄せ戦場となっている。ただし現在残る大型の堀切や桝形虎口はさらに後の天正壬午の乱(1582年)の時に後北条氏により改修されたものと思われる。今回は永正期に起きた今川氏親の甲斐侵攻がテーマでしたが、やはり天正期の大型の堀切などに参加者は大喜びでした。
今川氏親による甲斐への侵攻をテーマにした今回の見学会。永禄〜天正期の城郭を扱うことの多い見学会ですが、たまにはひと世代前にスポットを当てるのも面白いと感じました。機会があったらまたやりたいですね。 (報告者:望月 徹)