【1日目】南宮山 知られていない陣跡、毛利秀元陣跡、安国寺恵瓊陣跡、吉川広家陣
令和7年11月22日(土)〜23日(日)に第283回見学会「関ヶ原合戦シリーズA 山上の陣所をめぐる」を開催しました。
今回は9月21日(日)に開催した1つ前の見学会「関ヶ原合戦シリーズ@陣場を巡る」に引き続きセットで第2部として企画された見学会でした。
前回の比較的平地を歩く平易な陣場コースの参加者は22名と盛況でしたが、対して今回の2日間ひたすら山を歩く山上の陣所コースには18名の猛者が参加して下さいました。
1日目は、朝7:30にJR静岡駅北口から毎度お世話になっております市澤さんのバスで出発しましたが、東名高速道路の岡崎ICの手前から事故渋滞となり、渋滞を抜けるのに1時間半を費やすというトラブルにいきなり遭遇しましたが、参加者の皆さんにはバス内で昼食を取っていただき時間を短縮しました。そして12時に南宮大社に到着すると、さっそく南宮山ハイキング道を登り始めました。
南宮山の見所のひとつは、9月に下見した担当者(繁田、大木)が、CS立体図で陣所跡がありそうだと狙いをつけていた、毛利秀元陣跡から200m北にある小ピークでした。確認した結果、知られていない遺構跡であると判断し、見学会資料にも縄張図も添付しておりましたので、参加者全員でじっくりと確認しました。これが遺構だということは、南宮山の山稜に点在する南宮十坊の跡地等はいずれも毛利軍が駐屯したと言えるだろうということが想像できました。
毛利秀元陣所もくまなく見学した後、ハイキングコースを戻り、途中で安国寺恵瓊陣跡のある尾根を経由して南宮神社へ戻りました。
ここで終わらないのがフィールド重視の静岡古城研究会の見学会です。関ヶ原合戦のキーマンのひとりでありながら、その陣所跡があまり認識されていない吉川広家の陣跡想定地に移動しました。吉川広家陣跡という看板が立っている背後の山です。この長細い尾根筋をずっと登っていくと、先ほど登った南宮山の一ツ松跡という削平地に直結します。こうした位置関係が分かる地図、CS立体図に下見で確認した地形などを載せた見学会資料と、現地を見比べながら、参加者が現場で議論しました。
この日の宿泊先は、西軍の主要軍団が関ヶ原合戦前日まで滞在していた大垣の町です。午前中の事故渋滞で1時間半遅れましたが、多少時間に余裕をみた行程だったこともあり、予定の場所をすべて見学したにもかかわらず、クインテッサホテル大垣に30分遅れの17時に到着できました。各自少し自由時間を取り、懇親会は18:30から藁焼き炉端の居酒屋さんで開催し、美味しい食事とお酒を楽しみました。翌朝はホテルの部屋から昨日登った南宮山、関ヶ原、東軍・家康の陣地であった岡山(勝山)等が一望できました。
【2日目】北天満山(小西行長陣跡)、南天満山(宇喜多秀家陣跡)、松尾山城(大谷刑部陣への進撃路含む)
2日目は、9月の見学会において、山の上に登るべきでないか、と課題になっていた小西行長、宇喜多秀家の陣跡とされる場所の背後にある天満山を登りました。小西行長の北天満山、宇喜多秀家の南天満山には、堀や土塁などの明確な遺構はありませんでしたが、十分な兵力を駐屯できるスペース、眼前に広がる関ヶ原と東軍側に対する急勾配の自然地形、石田三成が布陣した笹尾山から南北天満山を経て大谷吉継の陣まで直線的に連携した地形を感じ取ることができました。
ここでの見所は、東軍の生駒利豊の書状に書かれた宇喜多秀家軍との戦場の具体的な場所を南天満山で特定し、関ヶ原で山岳戦も行われたことを体感することでした。その結果、宇喜多秀家と小西行長は、いま説明看板があるような平地ではなく、天満山山頂で西軍を指揮したことが良く理解できました。また南天満山の麓では知られていない新たな堀と土塁を見学しましたが、これは山頂に本陣がある前提で見学したので、参加者はその構造を無理なく理解できたと思います。
最後は松尾山城です。小早川秀秋が入城した南側の大手道から登り始め、本曲輪で昼食をとりたっぷり2時間見学したあと、最後の見所である松尾山から大谷吉継陣所に至る進撃路を確認しました。松尾山の北側には、一般的な縄張図に書かれていない曲輪がたくさんあります。その尾根先を進むと、かなり明確な尾根道を何本も見ることが出来ました。東軍に内応した小早川軍が怒涛の突撃をした尾根道は歴史の生き証人であり、参加者の皆さんにも衝撃的な生々しさを感じて頂けたと思います。
フィールドワークで現場を感じ、現場で歴史を議論し考えるという、当会ならではのスタイルを目指した宿泊見学会になったと思います。ひょっとすると第3段があるかもしれませんので期待下さい。なお詳細と考察は次回『古城』に掲載予定ですので是非お買い求めください。
(報告者:大木一幸)