8:00 JR静岡駅北口集合、バス出発
8:15 日本平久能山スマートIC→東名高速道路
8:40 富士川SA(乗車、トイレ休憩)
8:55 愛鷹PA(乗車、トイレ休憩)
9:00 沼津IC→伊豆縦貫道→国道1号→箱根新道
10:00 小田原駅西口着(関東からの参加者と合流)
10:10〜16:30 小田原城総構の遺構見学(徒歩)
16:30 小田原駅西口出発(関東からの参加者解散)
17:30 沼津IC
17:35 愛鷹PA
17:50 富士川SA
18:30 静岡駅南口着・解散
【小田原城総構】
天正18年(1590)の豊臣秀吉の「小田原攻め」に備え、北条氏が構築した堀や土塁からなる全長9qに及ぶ防衛線である。別名「大外郭」という。「寅歳大普請」と言われるため普請開始は天正17年(1589)頃と推定される(『小田原市史 別編 城郭』より)。丘陵部では現在もその遺構を目視し、体感することができるが、低地部では市街地化で消滅したところが多い。立地や遺存状態により以下の5地区に分類できる。
<a 総構北東面>
小田原城下の北東面低地部一帯に展開する「総構」である。蓮上院に良好な土塁が残るが、大半は宅地化が進行している。小田原宿東端の見附である江戸口見附(山王口見附)〜蓮上院土塁〜甲州道沿いの北の虎口である井細田口を経て小松原(旧小田原少年院跡地)までの地区である。現在は指定地以外の土塁は消滅しているが、地籍図にはかつての総構の堀・土塁の痕跡を追うことができる。
<b 総構北西面>
北西面丘陵部(谷津丘陵)に展開する総構である。堀・土塁が概ね良好に遺存している。主要部(指定地)は表面整備し、見学ポイントになっている。東から竜洞院裏〜谷津御鐘ノ台張出(伝岩付台)〜県道74号を経て、城源寺〜城下張出〜山ノ神台〜山ノ神堀切〜稲荷森を経て、稲荷森西に達する。城山一丁目〜城山二丁目〜谷津字城下・山神〜緑四丁目、東端(竜洞院裏)から山ノ神堀切までは史跡指定地が連なり、西端では稲荷森が史跡指定されている。
<c 総構小峯御鐘ノ台>
戦国時代の小田原城の丘陵部西端防衛の要所(虎口、櫓台、三重大堀切 他)である。遺構の残りが良好で、総構の姿を最もよく体感できると同時に、対峙する石垣山への眺望が開けている場所である。大堀切等主要部が史跡指定地となっている一方、遺構が目視できないところも地籍図にかつての総構の堀・土塁の痕跡を追うことができる。
<d 総構南西面>
秀吉により築かれた石垣山城に正対する西端丘陵の南東部から、板橋口見附(上方口見附)・東海道を挟み、南端の低地部海岸までの長大な堀・土塁跡であるが、一部を除き宅地化が進行している。丘陵部の上二重外張・二重外張・板橋口見附・低地部の早川口二重外張(史跡公園)が指定地となっているが、遺構が目視できないところも地籍図にかつての総構の堀・土塁の痕跡を追うことができる。
<e 総構南東面(海岸)>
秀吉の水軍と対峙した総構の海岸土塁とその周囲に幕末に築かれた海岸の砲台があった地区である。現在宅地化が進行し海岸線に西湘バイパスが通る。史跡指定地はなく、全域が周知の埋蔵文化財包蔵地外であるが、一部に総構の土塁の遺存(荒久東・御幸ノ浜西・御幸ノ浜東)が確認できる他、地籍図に土塁や台場の痕跡が確認できる。海岸部の土塁は、戦国時代、天正18年(1590)の「小田原合戦」に備え構築されたもので、堀を伴わなかった。江戸時代以降は市街地化が進み、後期大久保時代(大久保忠朝以後)の貞享3年(1686)以後に土塁の破却が進んだものと考えられる。
(小田原市教育委員会『史跡小田原城跡保存活用計画』2021 より抜粋、一部改変)